2008年12月18日木曜日

葬儀は何のためにおこなうのか。

三つの目的があります。

1、神への礼拝としての葬儀
キリスト者にとって、すべての時、すべての事が、第一に神への礼拝です。

-エペソ1章3~6節-
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。------------それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」

-ネヘミヤ9章5節-
『レビ人イエシェア、カドミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレブヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ぺタフヤは言った。「立って、あなたたちの神、主を賛美せよ。とこしえより、とこしえにいたるまで栄光ある御名が賛美されますように。いかなる賛美も称賛も及ばないその御名が。」』


2、遺族への慰め、励ましとしての葬儀
私たちの親族、友人、知人が召されることは悲しみ、心に寂しさを受けます。

お互いより深い悲しみにある方々のために助けあい奉仕し合うばかりでなく、神を仰いで信仰から来る望み(復活)によって励ましあうのが葬儀であり、また社会的な告別の時です。

復活こそキリスト教葬儀の本質であります。

-第1コリント12章26節- 
「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」

-ロマ書12章15節-
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」


3、各人が信仰を吟味する良き機会としての葬儀
地上における、親族、友人、知人との公の別れの機会が葬儀です。故人の信仰の証の場であり、自らの信仰を吟味しながら、「死」を考え復活の主を見上げながら死の備えを意識させられるのです。

-ヨハネ11章25節-
『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。」』

また、故人の信仰の証をとおして、主を語る良い機会です。
私たちは時が良くても悪くても福音を語ることが大事です。

-第2テモテ4章2節-
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

死とは・・・聖書の教え

死とは、罪の代価であり、罪の結果であることを聖書は明確に教えています。

-創世記3章-

-ロマ書5章12節-
「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった のと同様に、------それというのも全人類が罪を犯したからです。」

-ロマ書6章23節-
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」


1.肉体の死
キリスト者も肉体と魂の分離である死を一度は経験いたします。

キリスト者は罪を赦され、救いに入れられている者なのに、なぜ死を経験するのでしょう。

キリスト者の死はこの朽ちる体を脱ぎ捨て、朽ちない体を着るために必要なのです。

-第1コリント15章53節-
「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。」


2.霊的な死
魂が神から離れている状態を言います。 

-エペソ2章1~2節-
「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」

キリスト者は信仰によって主と結び付けられ「死から命へと移っているのです。」

-ヨハネ5章24節-
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」


3.永遠の死
神から永遠に離されてしまうことです。死のもっとも悲惨な状態です。

無限の暗黒のなかで、永遠に罪の呵責に責められ、苦しみ、悩み続けるのです。

そこから逃れる道は悔い改めて主を信じることですが、死後に、悔い改める機会はありません。

-マタイ25章46節-
「こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」

キリスト者の葬儀

1.神の栄光のための葬儀

キリスト者は、この地上生活においてキリストの贖いを受け、キリストのために生きるようにと召された者であります。

それゆえに私たちの歩みは、神の栄光を現わし、キリストを証する生活でなければなりません。キリスト者の死は、その復活の信仰により、神の国への勝利の凱旋ですから、神に喜ばれる葬儀でなければなりません。

キリスト者が葬儀を出す場合、第一にしなければならないことは、神の栄光を現わすことであります。

一般的には、個人の業績や社会的貢献度にとらわれて、盛大な葬儀をと心がけるものでありますが、キリスト者の葬儀は故人のそうした業績、名声にとらわれるのではなく、あくまでも葬儀をとおして、神の栄光を現わすことが大切であります。


2.証としての葬儀

死は私たちの総決算です。日々の生活がどうであったか、その信仰が問われます。キリストは私たちのために十字架で死に、わたしたちを救ってくださいました。わたしたちも生涯をかけてキリストを証する生活を送りたいと思います。

私たちは異教社会で生活をしています。生前模範的な信者であっても、その葬儀が異教的なものであったら、その信仰がむなしく感じられます。

私たちは、キリスト教葬儀をきちんとおこなえるように、日々の生活の中でよき証を立て、強い意思表示をしておく必要があります。

キリスト者にとって最大の証の機会は葬儀の時であります。

キリスト教葬儀を通して、神の恵みと祝福を語り、死のかなたにある救いと希望を会葬者に伝えることであります。

葬儀の実際(告別式)

告別式
葬式は、故人のためという以上に、生きている人々、特に遺族のために為されるものです。御言葉による慰め、復活の希望、励ましなどです。遺族のためのとりなしの祈りの時でもあります。
そして社会的な告別の時でもあるのです。

1 葬式のプログラム
奏楽、聖句、賛美歌、祈祷、賛美歌、聖書、説教、
祈祷、賛美歌、頌栄、終祷、奏楽、挨拶(遺族代表)

2 盛り花、生花等を送ってくださる場合、名前はすべてはずします。花輪、供物は辞退することを予め関係者に伝えておきましょう。

3 弔辞、弔電について
a 弔辞は、故人に向かつて行うものでなく、遺族に対して行うものです。故人の信仰の証を語るのが良いと思います。
できれば、弔辞でなく証が望ましいと思います。
b 弔電は定型文が多く、仏教用語などが用いられているケースが多々ありますので注意が必要です。

葬儀の実際(前夜式)

前夜式
葬儀を整える家族の行事です。
本来は主として近親者の集まりです。同時に悲しむ者と共に悲しみ、主にある慰めをもつて慰めるために集まるのはふさわしいことです。

① 会葬受付帳へ記帳していただく
教会員、会社関係、その他一般と分けるとよいでしょう。

② 会計担当お花料の記帳、集計、遺族のへの引渡し
親族の方お1人加えておくと良いと思います。

③ 会葬御礼の品を渡す
通常受け付けの方が担当する。

④ 案内式場までの案内。式場内での案内

⑤ 遺族代表の挨拶

⑥ 献花(飾花)係り2名ほど
(この流れは告別式も同じです。)

弊社の葬儀費用について

無理、無駄、見栄を省き、特にお支払い時に驚かれるような金額を請求され不愉快な思いをされることのないように、プラン計画を立てています。

これっきり安心プランは、このプランでおこなえば追加料金は発生いたしませんのでご安心ください。

(*料金は総額表示です。火葬料金ですが、市民外の方につきましては差額料金をいただきます。マイクロバス、お食事代、返礼品等は別途費用になります。)

2008年12月17日水曜日

ぱるーしぁの安心これっきりプラン<2008年7月改定>

39万プラン〈税別〉(家族葬/密葬)

  • 収骨容器

  • 納棺
  • ドライアイス3日分
  • 生花祭壇
  • 枕花
  • 棺上花
  • カラー遺影写真
  • 寝台車(15km)
  • 霊柩車
  • 役所手続き
  • 火葬料金(市民.公営火葬場)


58万プラン〈税別〉(友人葬40~60名)

  • 収骨容器

  • 納棺・ラストメーク
  • ドライアイス3日分
  • 生花祭壇
  • 枕花
  • 棺上花
  • カラー遺影写真(蛍光フィルム)
  • 献花(飾花)50本
  • 受付セット
  • 会葬礼状50枚
  • 立て看板
  • 案内看板4枚
  • 寝台車(15km)
  • 霊柩車
  • 役所手続き
  • 火葬料金(市民.公営火葬場)
キリスト教葬儀のぱるーしぁ ℡047-486-1991
24時間受付  八千代市八千代台西8-17-10-105