2008年12月18日木曜日

キリスト者の葬儀

1.神の栄光のための葬儀

キリスト者は、この地上生活においてキリストの贖いを受け、キリストのために生きるようにと召された者であります。

それゆえに私たちの歩みは、神の栄光を現わし、キリストを証する生活でなければなりません。キリスト者の死は、その復活の信仰により、神の国への勝利の凱旋ですから、神に喜ばれる葬儀でなければなりません。

キリスト者が葬儀を出す場合、第一にしなければならないことは、神の栄光を現わすことであります。

一般的には、個人の業績や社会的貢献度にとらわれて、盛大な葬儀をと心がけるものでありますが、キリスト者の葬儀は故人のそうした業績、名声にとらわれるのではなく、あくまでも葬儀をとおして、神の栄光を現わすことが大切であります。


2.証としての葬儀

死は私たちの総決算です。日々の生活がどうであったか、その信仰が問われます。キリストは私たちのために十字架で死に、わたしたちを救ってくださいました。わたしたちも生涯をかけてキリストを証する生活を送りたいと思います。

私たちは異教社会で生活をしています。生前模範的な信者であっても、その葬儀が異教的なものであったら、その信仰がむなしく感じられます。

私たちは、キリスト教葬儀をきちんとおこなえるように、日々の生活の中でよき証を立て、強い意思表示をしておく必要があります。

キリスト者にとって最大の証の機会は葬儀の時であります。

キリスト教葬儀を通して、神の恵みと祝福を語り、死のかなたにある救いと希望を会葬者に伝えることであります。